内田樹さんとボブディラン

内田樹さんというと時折話題に登る大学の先生で「子どもは判ってくれないisbn:4167679914」という文庫は目に付いたのでいつか読もうと積んでおいてあります。しかし評判を検索してみたら、対談では相手の話を聞いていないと思われるほど話がかみあわなかったりして、ユニークな意見が過ぎてしまうことがあるようである、というメモ。人前でしゃべったりする仕事では極端なことを言って受けをとらないといけない側面もあるわけですが、話半分に聞くことも大切だということで。
panheadさんのGEEK新聞スパムというエントリーで紹介している新聞記事の話が発端なんですが、。内田樹さんの「常識的!」というコラムの8月ごろの記事。We are the worldの録音の時、ボブディランにスティービーワンダーがディラン的歌唱を指導していたことを、内田さんは「年齢とともに創造的エネルギーが枯渇して…」と書くが、panheadさんによると、

 古いヒット曲をひっさげてディナーショーをするようなことをしない。昔の歌い方なんか忘れてしまう。だから今でも現役なのだ。"Dylan is Dylan"

 検索してヒットしたクンタキンヤさんの晴れた日には永遠が見えるより少しながめに引用させていただくと、

他人の曲を、いくらチャリティとはいえ、いきなり与えて歌えというのは、オリジナルなアーティスト、ディラン氏にとっては酷ではないか。スティービーがこういう風に歌えというのは、「世の中が求めるディラン・スタイルに即していなければ、大衆が納得しないよ」ということを知り尽くしている、ワンダーのプロデューサー感覚である。
 それを「(ディランは)加齢とともに創造的エネルギーが枯渇してしまい」と、自分の文章のテーマに合うように、強引に引きつけてしまっている。ディランらしく歌えないことの方が、創造的と言えるかもしれない。

 元の記事に戻ると、前半のオジサン週刊誌のオジサン向けの記事が実は妙齢のお嬢さんがマニュアルに沿って書き上げていて、それゆえ身体性を失っているという興味深い記事なのですが、生半可な認識で中途半端なことを書くと台無しになることもあるということと、この記事を鵜呑みにしてボブディランとはそういう人だと思う人がいると困るねという教訓でした。